現代の中学生を取り巻く環境の一端

いろいろな活動をお手伝いするなかで、昨年知り合ったNPOの理事長がいます。

また彼が寄稿した一つの原稿が私の中で「教育」を考えていくための一つの指針になっているので紹介させていただきます。

相次いだ中学生の自殺が示すもの

神代洋一

(明星大学・元児童館職員 NPO東京少年少女センター理事長)

  つかれたという言葉は その人を疲れさせ
  もうだめだという気持ちは その人をだめにする
  瞬間だけに生き その余韻に満足することは 停滞の始まりである
  崩れた温かみで 心を埋め尽くすな(後略)

  艱難辛苦に挑む 気迫あふれる 少年少女だけが
  この門をくぐることができる

 これはとある品川区の2つの小中一貫校の校訓です。
品川区の小中一貫校では、2012年から16年にかけて、相次いで5人の中学1年生が命を落としました。

 2012年3月、小6女子が学校のすぐそばにある踏切にしゃがみ込み電車にはねられて死亡。
 7月には中1男子が自宅マンションから飛び降り死。
 9月、中1男子がいじめを苦にして自宅で首吊り自殺。


 さらに、2016年5月には中1の女生徒2人が電車に飛び込んで自殺しています。

 これらの事件が起きたその日の夜、それぞれの学校の同学年の子どもたちと夜の体育館で会いました。
 ふだんと変わらない表情で友だちと笑顔でおしゃべりをしながら現れた子たちに、「今日は、たいへんだったね」と声をかけると、途端に涙が溢れ、うずくまり肩を震わせて泣き出してしまいました。
 少し落ち着いてから、「学校の先生から話があったでしょ」と聞くと、「外でそのことを話したらダメだって。友だちとも話題にしないようにって言われた」と。
 「昨日まで楽しく過ごしていたように見える」
 10代入り口の子どもに何があったのか、心の中に渦巻いていたものがなんだったのかを、同世代の子どもたち、親たちと深く語り合い、探ることなしに、個人の問題として蓋をしようとすることは、子どもたちをさらに追い詰めてしまうのではないかと思うのです。

 「疲れた!」
 児童館に放課後やってくる小学校高学年たち。すぐに遊び出す気力はありません。
 ゴロゴロしながら、電子ゲームやスマホを操作する姿があたりまえのようになりました。
 「公園で遊んでいたら、小さい子がいるんだから走り回らないで!って怒られた。
僕たちはどこで遊んだらいんだよ!」と怒りをぶちまけに来た6年生の男の子たち。
 彼らのエネルギーを蝕んでいるのは何者なのでしょう。

 毎日21時過ぎまで学校でがんばっている先生たち。
 子どもの自殺を前にして、「わたしもあの激務の学校にいたから…やっぱりその中に何かしらの原因はあると思ってしまう…」と苦しい胸のうちを語ってくれました。

 不登校になった子の家で勉強し、「明日の朝は行けるかもしれないって言うから、今日はその子の家に泊まって朝いっしょに学校に行く」と、その子に寄り添おうと力を尽くす中学生もいます。

 子どもも先生たちも疲れさせる現場で、「つかれた」という言葉を発することも、心が弱っている子に心を砕くことも否定する
かのような校訓。
 「もうダメだ!」と悲観する子どもに、その気持ちは「人をダメにする」と言い、「艱難辛苦に挑む子だけ」が校門をくぐることができると説くような言葉をなぜ掲げているのでしょうか。

 1月9日、東京地裁で、2012年9月にいじめで自殺した子の両親と、品川区及び同級生14人と和解が成立しました。
 けれども、これで子どもたちが抱えている問題が解決したわけではありません。

 子どもたちの権利を歪めている者が何かを事実にして明らかにし、子どもに関わる全ての人たちが共有し、何よりも子どもたちを真ん中に具体的な取り組みを続けていかなければと強く思った年明けでした。

『東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース  54号』

直近で起きた自殺は当時ニュースで見て、心を痛めました。

「教育」を真正面にすえて取り組むことが大切だと認識しています。

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