こんにちは! 芋川 ゆうき です。
わたしは、共産党に入党したのが2017年11月です。
それ以前の党との関わりというのが、基本的にはほぼなかったようなものでした。
ですので、何事も勉強しながら考えを深めています。
そんな中、共産党の仲間との話の中で「新自由主義」という話が出てくることがあるのですが、
はじめ、わたしは、新自由主義的考えというのは、”なにものにも縛られない考え”のような意味合いでとらえていました。
言うなれば、「最近の若者は~」程度の意味合いかな?と。
ですが、会話の中の新自由主義というのは、なにかネガティブな意味合いで話されていました。
ですので、少し学習しました。
その中の一説では次のように書いてあります。
1970年スタグフレーションにおいて、主として財政政策を通じて需要を刺激し、雇用と経済成長を維持しようとするケインズ政策は適用可能性を失い、生産性など供給側の要因を重視し、「小さな政府」のもとで企業や個人に最大限の自由を認めようという新自由主義の経済政策が台頭した。新自由主義が目の敵にしたのが、戦後60年大までに多くの国の国民が勝ちとってきた社会保障受給権、労働者の団結権・争議権、公共サービス利用権、税制における累進課税制など、形式的には不平等な権利や制度であった。新自由主義は、貧困な一部の人々が生活保護を受けることや、裕福な人々が公立の税負担を課されるのは不平等だと考え、すべてを平等にした方が、貧困から裕福になるインセンティブを増大させると考えるのである。
2019年11月号「経済」岐路に立つ日本資本主義 22ページ
調べながら、これを読んだとき、まさに以前の自分の考えのようでした。
自分が仕事で疲弊している他人にも同様の水準で求めてしまう。
むしろ、大変な自分の状況をどうにか維持するために社会保障制度を糧にしている人を攻撃してしまうような。
改めて、現在の社会の「自己責任論」をあらわしているようでした。
そして、文章は下記に続きます。(お時間ある方はお読みいただければと思います。)
新自由主義的政策を最初に実行したのは英国サッチャー政権(79年~90年)で、炭鉱労働組合の弾圧、国有鉄道・国営航空・公営住宅等の売却・民営化、最高税率の引下げ等を行い、続いて米国レーガン政権(81年~89年)が「小さな政府」、「強いアメリカ」、「強いドル」を掲げて大規模減税、規制緩和等の新自由主義的政策を実行したが、SDIなど国防費の増額等により「双子の赤字」(財政と貿易収支の赤字)が増大し、「強いドル」政策を修正するとともに、結果的には軍事ケインズ主義と変わらぬものとなった。
日本における新自由主義的構造改革の最初の推進者は、中曽根政権(82年~87年)であった。同政権は、83年に臨時行政改革推進審議会(会長=土光敏夫氏)を設置して規制緩和、民営化、公務員減らしの方針を打ち出し、それにもとづいて国鉄の分割民営化、電電公社・専売公社の民営化を行った。この民営化には、国労をはじめとする官公労関係の組合つづしの意図も含まれていた。
中曽根政権の行った改革の中で見逃せないのは85年に労働者派遣法を成立させ、翌86年から16の業種について施行したことである。戦後労働改革の一環として制定された職業安定法は、中間搾取や強制労働をなくすために、労働者供給事業をきびしく禁止していた。ところが産業界の多様な需要に応えるためとして、労働者派遣業を認め、派遣先会社の指揮・命令で働きながら、派遣先会社とは何らの交渉もできないという無権利労働者を作り出したのである。労働者派遣法は、96年には改正されて対象業種が16から26に拡大され、99年改正ではネガティブリスト(医療、製造業等)以外の業種は原則自由となり、03年改正では、製造業への派遣も認められるとともに、派遣期間も3年に延長された。
派遣労働者という非正規労働者を政府が公認したことに対応して、日経連(後に日本経団連に統合)は95年に『新時代の「日本的経営」』を発表して、それまで年功序列賃金・長期雇用を慣行としてきた労働者を次の三つに分けることを宣言した。すなわち、①原則として期間の定めのない雇用契約を結ぶ「長期蓄積能力活用型グループ」、②有期雇用で、企画・技術開発などに従事する「高度専門能力活用型グループ」。③製造現場などで一般職に従事する「雇用柔軟型グループ」。そして①には、長期雇用慣行の正規労働者をあて、②と③には、有期雇用の派遣労働者、パートやアルバイト、個人請負などの非正規労働者をあてるというわけである。その結果、非正規労働者の比率は、88年には18%強であったのに、21世紀初めには30%弱となり、10年代後半は40%に近づいている。
非正規労働者の賃金は正規労働者の賃金よりも低いから、各労働者の賃金が多少上昇したとしても、非正規労働者比率が上昇すると平均賃金は低下する。実際、日本の実質賃金(多くの年で名目賃金も)は97年をピークとして下がり続けている。20年以上も労働者の実質賃金が下がっている国は、主要国の中では日本だけである。賃金は国民経済的にはマクロ消費需要の重要な決定要因であり、設備投資や輸出が急増しないかぎり、賃金の低下は、日本経済の長期停滞をもたらす。目先の利益にとらわれて非正規労働者を増やし、実質賃金の低下を通じって長期停滞をもたらした日本の新自由主義的構造改革は、完全に失敗であった。90年代末以降の課程を「デフレーション」と把握し、名目賃金も低下しているとみる吉川洋氏は次のように言っている。「名目賃金は、『デフレ期待』によって下がったのではない。1990年代後半、大企業を中心に、高度経済成長期に確立された旧来の雇用システムが崩壊したことにより、名目賃金は下がり始めたのである。そして、名目賃金の低下がデフレを定着させた。/なぜ日本だけがデフレなのか、という問いに対する答えは、日本だけで名目賃金が下がっているからだ、ということになる。」
2019年11月号「経済」岐路に立つ日本資本主義 22ページから
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